インメルマン・ダンス

主に嫌いな物や腹立つ物について書いていきます。

物事の好き嫌いの物差しを無くしてしまった話

類は友を呼ぶとはよく言ったものだが、僕のブログを目に止めてくれた方の多くは、僕と同じアニメやゲームが好きな、いわゆるオタクの方が多いと思う。

今回の記事の内容は、オタクに限ったことではないけれど、少なからずオタクに深く刺さる内容なのではないかと思う。


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ご注文はうさぎですか?』というアニメをご存知だろうか。

まんがタイムきらら』連載の漫画が原作で、可愛い女の子たちが喫茶店でバイトしたり、学校生活を送ったりする、ゆるい日常系アニメである。

僕が中学生の頃に第一期が放送され、オタク界隈でマジでめちゃくちゃ流行った。

「あぁ^~心がピョンピョンするんじゃぁ^~」とかいうクソ汚い(元ネタは自己責任で調べてください)スラングがやたらめったら使われたり、ニコニコ動画にアップされている第一話では、世間で何か大きなニュースがある度にデカい赤文字で『衆議院選挙』『〇〇逮捕』『SMAP解散』などの書き込みがされ、オタクたちのニュース速報みたいな使われ方をしていた。ひょっとしたら未だに書き込まれているかもしれない。

実際に見に行ってみよう。


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(画像は12/2時点でのもの)

放送当時ほどの速報性には欠けるものの、未だに、一週間以内に世間で話題になったニュースが書き込まれていた。どうやら文化は健在のようだ。


とまぁ、エヴァハルヒけいおん!のように、社会現象とはいかないまでも、間違いなくヒット作と呼べるアニメなのである。

僕は中学生の頃、これをリアルタイムで見ていた。

第一期12話は全部見た。惰性ではなく、それなりに楽しく、女の子たちの可愛い姿をニコニコしながら見ていた。


それから8年ほどの時が過ぎて、先日。

いつものようにスマホアイビスペイントで絵を描いている時にふと思い立ち、久しぶりに見てみようと思って、U-NEXTを開いた。

普段趣味で絵を描く人にはもしかしたら共感してもらえるかなと思うのだが、作業の合間にラジオ感覚で日常系アニメを垂れ流すというのは割とよくやることだ。

バトルものや、そこそこ集中して見ていないとストーリーが分からないアニメに対して、こういう一話完結のゆるい日常系アニメは垂れ流すのに適している。

さァて、久々に心をぴょんぴょんさせちゃいまんッスかねェ~~。僕が8年振りにラビットハウスに帰還しちゃうってワケ。チノちゃんで思う存分ブヒれるって次第。

僕はMacBookタッチパッドに手をかけ、第一期第一話の、再生ボタンを押した。


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2話の途中でやめた。


言いようのない焦燥感が僕を襲う。

あれっ?こんなはずじゃない。嘘だ、もっと面白かった。普通に、何の不快感も、何のストレスもなく、可愛い女の子たちがキャッキャウフフしてる姿を遠目に見てたら気付いたら30分経ってたはずだ。

そうだ、これは偽物なんじゃないか?『ニセご注文はうさぎですか?』なんじゃないか?

ニセチノちゃんとニセココアちゃんたちがニセラビットハウスでコントしてる様子を見せられているだけなんじゃないか?

おのれ許せんU-NEXT。僕は再度、U-NEXTのトップ画面で『ご注文はうさぎですか?』を検索する。

ヒットしたのは全く同じページ。2話の途中で止まった視聴履歴もそのまま。


中学生の僕が心の底から楽しんでいた『ごちうさ』はどこに消えたのか。

有名な都市伝説である『千と千尋の神隠し』の幻のラストシーンよろしく、僕が記憶していたごちうさは、脳が勝手に補完した偽りの記憶……?


しばらく考えて、僕は、この『ニセごちうさ』現象が2つの理由によって起こったことであると結論づけた。


ひとつは、単純に年齢を重ねたことによる価値観の変化。

YouTubeで昔のガキ使の尖りまくった企画の切り抜きを見漁ったり、淫夢やなんJなどのモラルのないユーモアに触れすぎたせいで、ほのぼのとしたクスッと笑えるゆるいコメディでは楽しめなくなってしまったのだ。

ココリコ田中が道徳を失っている様子や、ホモビデオで「イキスギィ!」と言ってイく迫真の演技を見て笑った後では、ラビットハウスという名の喫茶店に入って「ウサギがいない!!」と騒ぐ異常者が出てきたところで面白いと思えないのだ。


もうひとつ。これが今回の記事のタイトルである。

『物事の好き嫌いの物差しを無くしてしまった』。


あまり分かりやすい例えが見つからなくて申し訳ないが、あなたは、友達から「今から公園でドッジボールしようぜ!」と言われて、快諾できるだろうか?

僕と同じ年の頃、20代前半の方だとして、少なく見積っても8割の人は「できない」「やりたくない」だろう。

「今の時期は寒い」、「服を汚したくない」、色々な理由が思い付くと思うが、一番は、『いい歳になってドッジボールなんて恥ずかしい』というところが大きいだろう。

たぶん、気心知れた友達を集めてドッジボールをすれば、今でも普通にそこそこ楽しいはずなのだ。

しかし、ドッジボールは小学生の遊びだという『常識』が邪魔をする。たぶん楽しいんだろうけど、たぶん何だかんだ盛り上がるんだろうけど、ドッジボールが『幼稚』で『ダサい』という認識が邪魔をする。


それと同じことが、僕と『ごちうさ』との間に起きているんだと思う。


「男のくせに、女の子たちが仲睦まじくしている様子を描いたアニメが好きなんて、キモい」

「もう大人なんだから、もっと深い作品を見ろよ」

「いつまで萌え豚やってんだよ」

「チーズ牛丼食ってそう」

「パチンコの方が面白い」


頭の中で明確な形になっていない、中学生から大学生になるまでに集めた偏見のコレクションが、僕の「面白い」「癒される」という感情にバツをつけて再提出を求めてくる。

「好きだ」という感情が否定される。

被害者ぶっているわけではない。これは自分自身のせいであり、責任だ。ある程度物事の判別ができる年になったら、自分の中に取り込む価値観は自ら取捨選択しなければならない。

僕は自分の価値観の育成に失敗した。


いずれ、また時が過ぎれば、細胞が死んで新しく生まれ変わっていくように、『ごちうさ』を正しく評価できる価値観に戻るのかもしれない。

皆さんは、好きなものを正直に好きだと、嫌いなものを正直に嫌いだと言えるだろうか。

願わくば、全てのオタクが『いい格好』をせず、ありのままの好き嫌いを自分の中に正しく持ち続けられるように。