インメルマン・ダンス

主に嫌いな物や腹立つ物について書いていきます。

PPPPPPを今さら読んだ話

SNSでトレンドに上がってから、ずっと読んでみたいと思っていた漫画があった。

『PPPPPP(ピピピピピピ)』である。

 

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快活クラブで一気読みして、

「あっ、これ、丸2日くらいはこの漫画のことしか考えられんようになるな」

と思ったので、今、その衝動のままに、熱が冷めないうちにこれを書いている。

これ系の漫画は、漫画の感想ひとつとっても自分の心に正直になることもできず、ただただTwitter受けのいいネットミームの影響を受けたクソつまんね〜人生送ってるくせに、無駄な考察だけは人一倍頑張ってるゴミ人間の下痢野郎が妄信的なファンとして付きがちなので、予防線として先に言っておくが、僕は前日譚である『ダダダダーン』は未読である。

あくまでも、『PPPPPP』単体での感想ということにご留意の上、お読みください。

ラストシーンガッツリネタバレ&その他のシーンも若干ネタバレあり。

 

感想としては、色々と言いたいことはあるけれどもまず、

『コレが打ち切られたのか?マジで?』

PPPPPPは全8巻なのだが、正直、6巻7巻を読んでいる間、1話1話が終わる度にそんなことを考えていた。

おそらく打ち切りが決まってから描き始めたのであろうエピローグを除いて、掘り下げがほぼされることのなかったドンとシカト以外、ほぼ全てのネームドの登場人物が魅力に満ち溢れていたし、

エピローグに突入するまでの4on4編もクライマックスの連続で、文字を何度も読み返して反芻しながらも、ページをめくる手は速かった。

 

大まかなあらすじとしては、

音上(おとがみ)家という天才ピアニスト一家に生まれた、7つ子のきょうだい。

その7つ子の6人目であるラッキーは、7つ子の中で唯一『凡才』であるとされ、才能至上主義の父親から、そんな凡才を産んだ母親ごと、音上家から追放されてしまう。

ピアノは大好きだけれど、自分には才能がないからピアノの道は諦めよう……と考え、叔母の家で雑用ざんまいのみすぼらしい生活を送っていたラッキー。

しかし、入院中の母親の容態が悪化し、母はラッキーに、『もう一度、7人が揃って楽しくピアノを弾いている姿が見たい』と願いを言う。

追放、そして父と母の離婚によって断絶したきょうだいの絆をもう一度繋ぎ直すため、ラッキーはピアノの道へ進み、凡才だと思われていた彼の中に眠る才能を開花させていく――

というもの。

 

元々あらすじは知っていたが、面白そうだけどぶっちゃけジャンプって感じじゃないよね、と読まず嫌いしていた。

ジャンプに載っている作品で、バトルとギャグ以外は、今まであんまり刺さらなかったからだ。

同じような考えでPPPPPPを読んでこなかった人は、一度、1巻だけでも読んでほしい。

バトル漫画に負けていない。

というか、文字をすっ飛ばして絵だけで見たら、演奏シーンはバトル漫画と見紛うくらいに全てド派手。

 

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これは、中盤に出てくるきょうだいの紅一点・ミーミンの『演奏』である。

演奏している音楽の背景情報や、演奏を聴かせる相手への心情とマッチしたセリフなどで、文字としての補完もあるけれど、それを抜きにしても魅入ってしまう。

『音楽』を漫画で表現するにはどうすればいいか。

『視覚的に表現すればいい』。漫画を描いたこととか、創作経験がなくても、そこまでの発想に至るのは難しくないとは思う。

この作者はその音楽の視覚的表現を、豊かな世界観で、これ以上なく、読者に「聴こえはしないけれど、すごい演奏が行われているんだ」という120%の説得力にしている。

どれだけ描写や音楽理論を文字で並べ立てられてもここへは辿り着けないだろう、この漫画にしかない表現の領域。

しかも、他の登場人物の演奏の表現には、また全く別の表現方法が用いられている。

巨人の影がもたらす夕暮れ、軍隊のようにキッチリと整列する音符、楽しさという表現がそのまま遊園地として現れる……。

作中では、聴く者に幻覚のような『体験』を届ける演奏を、『ファンタジー』と呼んでいる。

このファンタジーが、読者にストレスなく、今この登場人物が行っている演奏がどれだけすごいものかを一発で表現できる手段として、なんというかとても心地よかった。

 

登場人物ひとりひとりが抱えている悩みや葛藤も、とても『バランスがいいな』と感じた。

音上家はみんな天才で、読者が共感し得ないような領域にまで思考が及んでいるキャラクターもいるのだが、それゆえか、みんなどこか一部分は欠落していて、幼稚さを感じる面もあり。

境遇や状況は全く想像もつかないものだけれど、根っこの部分の願望は、「寂しい」「自由が欲しい」というような、人間誰しもが持つ普遍的なもの。

天才でブッ飛んだキャラクターに、人並みの落ち着いた動機の芯を持たせる。このバランス感覚が素晴らしかった。

特に、中盤から描かれ、一旦本線から離れながらも、終盤、エピローグまで続いた、ミーミンとメロリのお話は、本当に読んで欲しい。切実に。マジで。

 

……と、ここまで高評価一辺倒の感想を書いてきたけれど。

いや、ていうか僕自身の感想としては高評価一辺倒なんだけれども、打ち切りになるような要因がひとつも見当たらないと言えば嘘になる。

 

まず、「それ言ったら終わりだろ」っていうことを言うが、これ、マガジンとかで連載した方がいいと思う。

この漫画の柱と言っていい人間ドラマの部分。

ドラマを構築する人間が、良くも悪くも、みんな複雑すぎる。

人間ドラマで描かれる人間なんか複雑でナンボだろとも思うけど、

ルフィの「海賊王になる」とか、ナルトの「火影になる」とか、行動原理が一文でビタッと言い表せるキャラクターがほとんどいない。

主人公であるラッキーですら、「母親にきょうだい7人揃って楽しくピアノを弾いてるところを見せてあげたい」という目的が、けっこうブレているような印象を受けた。

各章によってクリアしなければならない目下の目的が違うし、それは他の漫画にも言えることだし、何よりラッキーは才能の覚醒途中で様々な葛藤があるゆえなのだろうけど、1週間に1話ペースで読むと考えると、やっぱりメインキャラの中にはもう少し色々単純でわかりやすいヤツがいた方がいいのかなぁ……とは思う。

ラッキーがピアノで勝負を挑むきょうだいたちにもドラマがあるから、単純な、主人公側が正義、それに対抗するのは悪、という構図じゃないのも、ジャンプ漫画的にはウケが悪いのかなとも思ったり。

終盤の4on4の戦いでも、正直ファンタ側のチームのキャラを応援してた時あったし。それだけみんな魅力のあるキャラだって裏付けでもあるんだけれども。

 

あと、人間ドラマという点では、これも僕は美点と感じる部分なのだが、『語るべきでない部分は削る』というのがけっこう露骨だったと思う。

最初に書いた通り、この『PPPPPP』という作品には、前日譚にあたる『ダダダダーン』という読み切りがあるのだが、この読み切りから続投して出てくるキャラクター・運(さだめ)について、まぁ〜〜本編中で語られない。

エピローグだったか4on4内での回想だったか定かではないが、とにかくかなり終盤になってから、同じく『ダダダダーン』に登場したメロリとの出会いとか、ピアノの道を志すようになったエピソードなどが語られるが、読者によっては「いや、それ初登場時にやってくれよ」と思う人も少なくないだろう。

運は中盤に登場してそれ以降ずっとラッキーのサポートをしたり、天才たちに負けず劣らずのコピー奏法を魅せてくれたり、ガッチガチにメインキャラとして活躍するので、1周しか読んでいない感想としては「終盤まで全然どういうキャラか分からんままだったな」という印象になってしまっている。

その分、ラッキーやきょうだいたちを巡るドラマは濃密だったし、まぁこの点に関してはアンケートが悪ければ即打ち切りの世界で、序盤にページ数を割く優先順位は低かったのかな、と思うが。

 

……さて。

一旦、最終回を抜きにして本編を振り返っての感想を書いた。

 

というのも、この『PPPPPP』、最終回が本誌に載った日にTwitterのトレンドに上がるほど、けっこう議論を読んだ最終回をブチかましたのだ。

アンケート結果が振るわなかったとはいえ、打ち切りとしては全8巻とかなり続いた方だし、ファンは多かった。

そのファンの中でも賛否両論が巻き起こった、たぶんジャンプ漫画の終わり方として過去に類を見ない最終回を、エピローグの流れから簡単に説明して、その感想を述べて終わろうと思う。

 

ネタバレ注意。

 

 

 

 

 

 

ファンタとの学園祭での4on4対決。

ソラチカの演奏に魅せられたラッキーは、演奏の中の精神世界で、自分の中に眠る『天才』のラッキーと対話する。

葛藤を乗り越え、いつも通り『凡才』のままの自分で見事な演奏を魅せるラッキー。

残るは最後のファンタの演奏を残すのみ。

そんな中、母親の危篤を知らせる電話が入る。

生きている間に、7人の演奏を聴かせるというラッキーの目的は果たされることなく、母親は亡くなってしまう。

そして時は流れ、各キャラの『その後』が描かれる。

ある者は自分がより輝ける道を見つけ、ある者は自分の熱意の対象を再確認し……。

 

……たしか、この間、7か8話くらいあったはずだが。

なんと、ラッキーの姿がほぼ出てこない。

 

そして最終回。

ラッキーは、母親の墓の前で倒れていた。

ラッキーの精神世界には、天才ラッキーと、凡才ラッキーがいた。

凡才ラッキーこそ、読者である我々がこれまで触れてきた、見てきた主人公であるのだが……本編での成長が嘘のように、なんか、薄っぺらいことしか言わない。

「人にやさしくしよう!」「人の嫌がることはやめよう!」……何かの運動、呼びかけのように片腕をピンと挙げて、うわごとのようにそんなことを言い続ける凡才ラッキーを、天才ラッキーは「うわ」と笑う。

これまで深層心理の中に沈んでいた天才ラッキーと凡才ラッキーが入れ替わり、凡才ラッキーは、心の暗い底に沈んでいく。

そして、場面は墓前へ戻る。

母親の墓の前には、ラッキーと母親を家から追放した張本人、父親である音上楽音(がくおん)がいた。

【天才として生まれ変わったラッキーに、「おかえり」と言う楽音。

ラッキーは、追放された時に喰らったビンタをやり返しながら、『おかえり』……。】

これが、最後のコマである。

 

とりあえず、まあ……

これだけ見ればバッドエンドだと思う。

打ち切りとか、なんにも知らずに、単行本全8巻だけ渡されて読んで、この最終回を読めば、それは紛うことなきバッドエンドだろう。

一応他のキャラのエピローグで、この終わり方の見方が少し変わるようなセリフもあるのだが、それを差し引いても……。

僕たち読者が好きになったのは、天才であるきょうだいたちに及ばないまでも、必死に自分の中にある光るものを磨き続けて、数々の葛藤を乗り越え成長していった凡才ラッキーである。

それが、なんか、機械オンチが道徳の教科書をchatGPTに学習させたみたいな薄っぺらいこと言うだけのヤツになって、対した抵抗も見せずに天才の人格に乗っ取られて……。

 

……モヤモヤしないと言えば嘘になる。

しかし、打ち切りを宣告されたけど、まだまだ描き足りないストーリーがある、という状況で、それを無理やり畳む道を選ばなかったというのは、漫画として、すごいことだと思う。

ラッキー以外のキャラのその後を描いたエピローグが7,8話あったと書いたと思うが、それを、本筋を早巻きダイジェストで描けば、多くの読者が「まぁ打ち切りならこんなもんか」と納得のいくものはできたと思う。

それをせず、ラッキー以外の登場人物たちのストーリーを完結させ、最も容量を食うであろう本筋、ラッキーのストーリーを未完で終わらせたのは……ここまで濃密な人間ドラマを描いてきた作者の、譲れないこだわりだったんじゃないかと思う。

 

Twitterの感想では、バッドエンドという声が目立ったけれど、僕はそうは思っていない。

ラッキーのお話は、まだ続く。

『未完』なのだ。

というのも。母親が亡くなったあと、ラッキーは、ソラチカの言葉から、「人間が死んだ後が未知なら、今からでも、きょうだい7人の演奏を、母親に聴かせることができるかもしれない」と決意を新たにするのだ。

そのラッキーは、もちろん凡才ラッキーである。

だから、これまで母親の前でみんなで演奏するという目的のために頑張って、きょうだいの心を解きほぐしてきた凡才ラッキーが、あの場面で天才の人格になんの抵抗も無く主導権を明け渡すとは思えない。

おそらく本来は、ラストの墓前のシーンに至るまでの間に、ラッキーの心が揺らぐような何かがあったのだろう。

そして、このラストシーンで、天才に人格を乗っ取られる。

作品が打ち切られず続いていれば、さらにその先のシーンがあったかもしれない。

いや、あったはずだ。

ていうか、ある。

 

ここで、ありもしない続きを自分なりに夢想しないんなら、何が楽しくて学生時代からずっと教室の隅っこで絵を描いてるオタクをやってきたんだって話だ。

ラッキーの演奏に失われた過去の幸せを思い出した彼女や、ラッキーの演奏で枯れていた情熱がもう一度芽吹いた彼。これまで救われてきたきょうだいたち。

そんな彼らの手によって、凡才ラッキーも、天才ラッキーも救われて、最後には7人きょうだいと父親も揃って、どこかで揺蕩う母親に楽しい演奏を聴かせる最後があるはずだ。

 

だってこの漫画は、週刊少年ジャンプで連載されていたのだから。

 

文量も5000字をとっくに超えたし、「あっ、これ、後から読み返したらキモいんだろうな」って自意識が邪魔をしてきたので、そろそろ締めくくりたいと思う。

全8巻と読みやすいし、どのキャラも語り尽くせないほどの魅力のある人物ばかりで、そんな彼らが起こすドラマは読み応え抜群、しかしテンポよくスルスル読める。

100人に読ませれば、100人分の続きが、最終回がある。

他の漫画にない独自の魅力が、これでもかと詰まった作品だった。

これから快活クラブ行く奴、読め。

 

以上。

ではまた〜。