僕は割とボードゲームとかが好きな方である。
ボードゲームを語る上で欠かせないのが、まず何よりも先に、「一緒に卓を囲める友達の存在」である。
先日書いた『カス』というLINEグループの地元の友人らと卓を囲みたいのだが、奴らはボードゲームにあまり興味がなさそうなのだ。
大学にはボードゲームが好きそうな奴が多いが、そういう奴らは大体「顔を合わせば挨拶くらいはするけど、仲がいいというほとではない」くらいの関係性。一緒に卓を囲んで盛り上がるかどうか考えると微妙なところだ。
あと大学のボドゲ好きそうな奴らはほとんどが銀魂ツッコミ系腐女子みたいな奴らなのでぶっちゃけそもそも仲良くしたくもない。ってオイィィィ!!
こんなことを言ってしまってはおしまいなのだが、ボードゲームの欠点として、『面倒くさい』という点がある。
ボードゲームの種類にもよるが、トークンだの勝利条件だのややこしい事前説明が必要だったり、ゲームマスターを1人立てなければいけなかったり。
その面倒くささこそがボードゲームの醍醐味のひとつとも言えるのだが、TVゲームに慣れ親しんだ平成世代の我々にとって、そういったゲームを始める前の煩わしさは、あまりにも大きい『やらない理由』になってしまう。
しかしボードゲームやりたい欲求は日に日に高まるばかり。このまま欲求不満が続けば、大学をボード、気に入らない学生や教授を駒に見立ててボードゲームを始めてしまいかねない。
こうなりゃもうアナログゲームなら何でもいい。
そんなわけで、僕がこれまでに『カス』やその他のグループで遊んできたアナログゲームの中からひとつ紹介したいと思う。
これらのアナログゲームは、何の準備もせず相手さえいればすぐに始められる代わりに全部総じてクソゲーなのだが、これはブッチギリのクソゲーである。脳が糞になるゲームの略としてのクソゲーだ。
その名も、
『逆連想ゲーム』。
相手と交互に言葉を言い合うシンプルなゲーム。
ルールはただひとつ、
『相手の言葉から少しでも連想したと思われるような言葉を言ってはいけない』。
例えば、相手が「りんご」と言ったとして、「赤い」と言ってはいけない。りんごの色から連想したものだからだ。
さらに、「りんご」に対して「ゴリラ」などもアウト。しりとりの要領で連想したと見なされる。
このルールでゲームを進めていくと、具体的にはこんな感じになる。
「りんご」
「ドグラ・マグラ」
「チャージマン研」
「吉田羊の酒場放浪記」
「北朝鮮」
「歯」
「岩波書店」
「スパンコール」
「唐揚げ粉」
「ひらがなの『ち』」
「ニョロゾ」
「消防車」
ここで相手プレイヤーから『チャレンジ』がかかる。
『チャレンジ』とは、相手の提出した言葉が自分の言った言葉から連想したものなのではないかと異議を申し立てる行為である。
議論によって、連想したものであると認められればその時点で勝敗が決する。
議論によって、連想したものであると認められなければ、試合は続行される。
各プレイヤーに与えられた『チャレンジ』の権利は2回までである。
「あなたは私の『ニョロゾ』から、ニョロゾといえば水タイプ、水タイプといえば炎に強い、という連想で『消防車』と言いましたね?」
「異議あり。消防車が消化のために使う消防材は、動物の角などから採取した蚕白質という素材を使った薬剤です。水タイプとは似て非なるものです」
「しかし火災の多くを占める普通火災に対しては通常の放水が用いられるはずです。それを無視してレアケースを元に論じるのはフェアではないのでは?」
「うるさい!!!!!!!!!!」
議論終了。消防車の負けである。
この勝負では比較的常識の範疇の言語だけが使われたが、勝負が長引いてくるとお互いに開き直ってマジでクソみたいな戦いが展開されることになる。
「砂場」
「六波羅探題」
「へなちょこ」
「セベス」
「チョロンコ」
「いまげ」
「じょん汁」
「南米アフリカプロサイキック空手トーナメント」
「おはよう」
「チミミ」
「ひぐひぐ風邪ま〇こ」
「草刈正雄」
「オープンナパパカルゼモス」
「らにち」
「安楽死」
「東方仗助」
人は人生の中で様々な選択を迫られる機会がある。今回の場合、今この文章を読んでいるあなたは『不正解』の選択肢を引いてしまっていることになる。途中で読むのをやめてブラウザバックし、窓際行ってシコって寝るのが『正解』。
こんなもん最後まで読むな。馬鹿が。
ちなみに今『カス』グループではこの遊びは固く禁止されている。元々悪い頭がもっと悪くなるから。
妥協の果てにこんな糞そのものみたいなゲームに手を染めてしまう前に、早いとこボードゲームやりたい欲を解消しておきたいものだ。